「今の人達は日泰寺を勘違いしている」
一番札所にいたご老人はまずその言葉から日泰寺について語り始めた。
日本では毎月21日は弘法大使(空海)様が入定された日、つまり月命日とされており、覚王山日泰寺周辺でも縁日が並び、多くの参拝者が訪れる。
はたして、勘違いとは一体何であろうか?
元々日泰寺一帯は12万坪の広大な境内であった。
そこには八十八ヶ所札所のお堂がある。全てを参拝しても6キロほどなのだが、一番札所から八十八番札所までの全てが、本家四国八十八ヶ所を参拝した事と同じご利益があり、八十八ヶ所を巡り、最後のお礼参りとして日泰寺本堂へ参拝しに行くというのが本来のルートなのである。
しかし、現代では所々の土地は売られ、道路によって区切られ、規模が小さくなったお堂(札所)のみ周辺に広がっており、そのお堂も毎月21日以外には開かれなくなってしまったため、その存在すら知らない人々も多い。
さらに、日泰寺は唯一お釈迦様の御骨が収められている場所である。
その御骨は日泰寺本堂ではなく本堂から北東の方角に少し離れた場所にある奉安塔と呼ばれる場所に安置されている。
しかし現代の都市化されたコンクリートの道が本堂と奉安塔の存在を遮ってしまった。
人知れず現代に遮られたこの場所は私が訪れても縁日のような賑わいはなく、静寂に包まれていた。
「道の脇にたくさんあるお地蔵さんって何だろうね。」
「日泰寺は一番奥だからお参りに行こう。」
本堂への道を行く途中で聞こえた言葉がふと頭をよぎる。
なるほど、勘違いとはこういうことなのか。
八十八ヶ所も廻らず、お釈迦様の御骨も参ることなく本堂にだけ参拝することが一般的となってしまった覚王山日泰寺。
あのご老人が言っていた勘違いとは、この時代とはこの時代の流れで出来てしまったものなのだ。
では、このまま時代の流れと共に全てが忘れ去られてしまうのであろうか?
私は帰る前にもう一度奉安塔を訪れた。そこには雨の中1つの傘を2人で使って参拝している老夫婦がいた。
時代の中、変わらないものがある。私は確信した。
お堂は名残程度しか残っておらず、人の数も減り、勘違いした参拝がある。
しかし、私が見たものはそれだけではなかったはずだ。
雨が降る中訪れる人々、両親や祖父母に連れられ八十八ヶ所を楽しそうに巡る子供達、一番札所でお茶をご馳走しながら語り続けるご老人を私は見てきた。
形は違えど、想う気持ち、信仰というものは、語られ、受け継がれていくものであり、その先も変わることなく、続いていくものであるのだ。